日本語について、江戸時代の学者は、一音ごとに、つまり仮名一文字ごとに特定の意味があると考えた。これを「音義説」という。音義説は、江戸時代の学者に始まり、明治以降、昭和も大戦前まで影響力を持った説であるが、戦後の国語学界では、全く誤った説として排斥されている。
大野晋氏は、「音義説」を、次のように批判している。
「すでに、江戸時代の語学者の中には最も古い日本語は、すべて一音節語の組み合わせで成立したものと考え、日本語を一音節に分析することに腐心した人がある。しかし、その結果は、極めて奇妙なことにならざるを得なかった。一音節主義の学者は、アキ(秋)を説明して、「ア」は朗らかに大きな意を表わす、「キ」は澄み切った気分を表わす、従ってその合成によってアキという語が成立したと説く。ところが、アナ(穴)の説明においては、「ア」は狭く細長い意を表わすと説明しなければならない。それではアキ(秋)のアとの区別はどうなるのか不明である。このような、一音一音が個々に意味を持つと見る説は、「音義説」と名づけられているが、日本語をすべて一音節語にまで分析しようとすること、つまり、日本語を一音一音に分析してそれぞれに意味を与え、その合成によってすべての語を解こうとすることは、日本語の構造を正しく捉えていない。だからこそ、今見たような矛盾した記述をしなければならない窮地に陥る。」(『日本語をさかのぼる』p139)
音義説は、中世の仙覚などの説に起源を求めることができ、古くからの日本語研究の基底を流れてきた説である。五十音図をもとに、各行ごとに、もしくは各音ごとに固有の意義を設定する。その語義は唱える学者によってそれぞれ異なるなど、恣意的な側面が強いことは事実である。
しかしながら、大野氏の批判が的確だともいえない。アキ(秋)のアとアナ(穴)のアとが、はたして関係ないといえるだろうか。
秋の語源を稲や草木がアカル(赤らむ)こととする説がある。その説をとり、空がアク(開く)より「明るい」「赤」の語が作られ、空間をアク(開く)より「穴」という語が作られたとすると、「秋」と「穴」とは関連する語ということになる。オリジナルな意味が多様な広がりを持ったために、現代ではもとの意味がわかりにくくなっているということが考えられるのである。
日本語の起源が単音節語にあると主張すると、すぐに音義説に結びつけられやすい。ここでは従来の音義説について理解をふかめておきたい。
《日本語研究史》
奈良時代に成立した「万葉集」は、つぎの平安時代には、すでに読み解き難い文献となっていた。天暦五年(九五一)、村上天皇は宮中の昭陽舎(梨壺)に、源順をはじめとする5人の賢学を集め、万葉集を読み解かせた。この五人を「梨壺の五人」と称するが、彼らは四千五百首中四千余首を読み解き「新撰万葉集」(八九三)としてまとめた。その後も、多くの学者によって読み解きが進められていくが、平安末にもなお読めない歌が残っていた。
鎌倉時代に入って、天台宗の僧であった仙覚が、未読であったすべての歌を読み解き、「万葉集註解」十巻を著して万葉集解釈を大きく進展させた。この註解は、風土記などの文献を数多く参照しており、万葉集解釈史上における画期的業績とされる。
仙覚は、漢字ばかりで書かれた万葉集を読み解くのに、その漢字の用い方(真名仮名、正字、仮字、義読)を類別した。また、古語の解釈のために、語の機能(詞の助、助字など)、語形変化(同韻相通、同内相通)などの概念を立てた。
仙覚の方法の基礎となったのは、「悉曇学」である。悉曇学とは、仏典の基になっている古代インドの言語サンスクリットの研究である。古代インドに発達した言語学、音韻学が日本に伝わり、仏教家の間で研究されていた。五十音図がどのようにして成立したかは諸説があるが、悉曇の母音、子音の知識に基づいて国語音を並べたとする説が有力である。十一世紀終わり頃の仏典に、ほぼ今日の五十音図に近いものが見い出される。
仙覚は、この五十音図を古語解釈の有力な手段として用いた。日本語には、「アマ」と「アメ」や「咲く=サカ、サキ、サク、サケ、サコ」のような語形変化がある。このように、五十音図の同じ行で母音が変化するものを同内相通とよんだ。また、同じ段の音(母音が同じ音)にも相通があるとみて、これを同韻相通といっている。
また、語義の解釈では仮名一文字ごとに意味があるとしている。例えば、「ヤマ」はヤとマに分解でき、ヤは「高い」、マは「誉める」で、「本当に高いもの」の意、「ハマ」は、ハとマより成り、ハは「白い」、マは「回る」で「白波の回る処」の意とする。ヤマのマとハマのマとで解釈が異なるが、大和言葉には一音にいろいろな意味があるのだという。
仙覚が相通と見たものの中には、まったく見当はずれなものも多いが、今日の言葉で言えば動詞の活用変化とすべきものがある。ぼんやりとした形でではあるが、大和言葉の上にあらわれる現象を捉えている。仙覚から契沖、真淵、本居宣長をへて江戸末期の国学者に至る学問は、大和言葉が示す語形変化を整理し、法則として把握するプロセスであったとみることもできる。
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