日本語の論点

上代特殊仮名遣い(古代八母音説)

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上代特殊仮名遣(上代8母音説)の本質は連音

上代特殊仮名遣(上代8母音説)は、上代には今日のaiueoの5母音(甲類)以外に、ieoに別種(乙類)があり、全部で8母音だったという説である。この説に関するこれまでの議論はWikipediaに解説されている。しかし、それを見ても、なぜ古代のある時期に日本語の母音が増えるのか、その理由の説明は全くなくて多くの読者の疑問は晴れないのではないかと思う。

じつは、上代特殊仮名遣でいう乙類音とは、結局のところ連音であるというのが大野晋氏や阪倉篤義氏(故京都大学教授)の共通の理解であり、発生のメカニズムについても大野阪倉両氏の著作に説明がある。まずこれを押さえておかなければならない。 ここでは、上代特殊仮名遣について簡単な説明をした後、大野氏阪倉氏の説明を参考として示す。

上代特殊仮名遣の基本的な説明

例としてツキ(月)を取りあげる。月はツクヨミ、ツクヨという語にあらわれるように、本来「ツク」であった。これは「点く(点灯する)」であると思うが、満ち欠けをするから「尽く」だという説もある。どちらでもよいが、いずれにしても「ツク」は動詞である。動詞と名詞が未分化であるのは幼児語や未開言語に見られる特長だが、日本語ではその発達のある時期に、名詞にはモノ・コトを表す母音iを付して名詞であることを明示するということを行ったらしい。

つまり、月を表す時には、ツクに物体を表すiを付した。
 tuku+i → tukui (月)
このuiが一音化する過程にある音(連音)が乙類イである。
エとオについては次ページで述べる。

大野晋・阪倉篤義氏らの認識

(大野晋『日本語をさかのぼる』岩波新書・1974)
……「身(ム)」という語と「身(ミ)」との関係……「ムザネ(身実)」「ムクロ(身体=ム(身)クロ(幹)の意)」「ムサ(身狭=地名)」「タム(田身=地名)」など「ム(身)」という語があるが、これと「ミ(身)」との関係は、…「身」については、おそらくmuが古形で、mI(Iで乙類イを表示)がその変化形である。その変化は、muの後ろに、独立名詞を作る接尾辞iが加わってmui→mIという変化が生じたものと思われる。それと同様に、カミ(神)のkamIという形は、おそらく古形kamuの下に、独立する名詞を作る接尾辞iが加わって、kamui→kamIという変化の結果生じたものであろうと思う。(同書 p192-193)

(阪倉篤義『語構成の研究』角川書店・1966 )
万葉時代は、すでにこの段階にはいっていたのであって、iによる名詞の形成が、まさにもっともさかんな生産力を示したのみならず、すでにu接尾形で用いられていた語にも、これにさらにiを添加して、その名詞性を明確にすることが行われたと推測される。たとえば月・神・茎などは、東国方言や、ツクヨ・ツクヨミ、カムサビ・カムナガラ、ククタチ・ククミラなどの複合語には、なお古形ツク・カム・ククを存しているけれども、中央語の名詞としては、すでに「ツき」「カみ」「クき」の形が用いられるようになっていた。このツき・カみ・クきは /tuku/+/i/, /kamu/+/i/, /kuku/+/i/という接合の結果あらわれてきた形であって、そのキ・ミが乙類音(クキのキも多分)であるのは、大野晋氏の説かれた/ui/>/i/という音韻変化の結果であろう。一拍の語ではあるが、ム(身)と「み」の間にも同様な関係が考えられる。 (同書 p286 )

(次ページ)


[1]上代特殊仮名遣いの本質は連音
[2]乙類音とは(エ段・オ段)
[3]古代母音論争とは何だったのか

日本語の起源