日本語の論点

上代特殊仮名遣い(古代八母音説)

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乙類音とは(エ列・オ列)

エ列音の甲類・乙類

エ列音からみていこう。古語辞典を繰ってみればわかるが、エ列音エ、ケ、セ、テ、ネ、ヘ、メ、レ、ヱのページはわずかしかなく、しかも見出し語の多くは、漢語である。エ列音の多くは、語中・語尾にあらわれ、語頭にはほとんどこない。というのは、「エ」という音は大和言葉にはじめからあった母音ではなく、他の母音から合成されてできた母音だからである。

「エ」の形成には、次の二つのケースがある。第一は、ia→eである。
たとえば、「咲きあり」が「咲けり」となる。
  sakiari → sakeri
第二は、ai → eである。「嘆き」という語は、「長息」がつづまってできる。
  nagaiki → nageki
同様の変化は、漢語の上にもあらわれ、「大概taigai」がテェゲェとなったりする。江戸弁で大工をデエクというのも同じである。
第一の方が、エ列音甲類に相当し、第二の方がエ列音乙類に相当する。
  ia →e 甲類
  ai→e 乙類
では、iaからできたeと、aiからできたeはどう違うのだろうか。aと iの発音をくらべると、a の方が口の開きが大きく、i の方が口の開き が小さい。

  ia  →  i(小)a(大)…口を開ける動作     〈甲類〉
  ai →  a(大)i(小)…口を閉じる動作     〈乙類〉

となる。発声の時、口を開けながら行うのは自然だが、閉じながら発声するのはかなり窮屈である。つまり、iaはすぐに一音化してeになるが、口を閉じる動作となるaiは簡単にはeとならず、デエクdeekuのようにai→eeとなり、二音節分の長さが保たれる。
つまり、甲類e が、現在われわれが発音している「エ」と同じものであるのに対し、乙類e は、ee(エエ、二音節のエ、もしくは口ごもったエ)と考えられる。これがエの甲乙二類の区別である。
なお、エの起源をai、iaの二種とするのは大野晋の論に従ったものだが、私はoi→e、ui→eという変化があったものと考える。「背se」の古形はsoであり、soi →seと変化したことが考えられる。また、手はtui(付くもの)、筒(け)はkui(凹んだもの)と推定される。ui→[e乙]が乙類の大部分であろう。

オ列音甲類・乙類

では、乙類のoを考えていこう。乙類oを含む語として、「持つ(motu)」を例とする。「モツ」の古形は、「ムツ」だと思われる。大国主命を別名「オホナムチ(大穴牟遅神)」という。「オホナ」は「大地」、「ムチ」は「持ち」であり、オホナムチとは「大きな土地持ち」と解される。これは、「大国主」と同義であり、大国主の異名としてうなずくことができるだろう。

この「ムツ」は、
  ムツ(持つ)   ム(身)ツ(付)   身体に付ける
と解される。しかし、日本語の発達のある段階で、ムという動詞形で名詞を表すのではなく、名詞らしい語形にする欲求が生じた。そういう操作として、oを付すことにした。
  モツ(持つ)   mu(身)+ o + tu(付)
このmuoが一音化する過程にある音が、乙類のオである。従って、イ列乙類とオ列乙類は、
  カミ(神)のミ     mu(身)+i →mui (ミの乙類)
  モツ(持つ)のモ   mu(身)+o →muo (モの乙類)
であり、本質的に同じものと捉えられる。同様のモには、モガリ(殯)があり、
  モ(身)カリ(離る)  霊魂が人体から離れる
と解される。 ムツというと、ムツ(睦)もある。これは、
  mu(身)+ tu(付)  身体をくっつけ合う
である。この場合、mu(身)には変化が施されていないが、ムツ(睦)とムツ(持)を区別し語彙を豊富化するということには役立っている。

なお、o母音の本来の役割について述べておこう。
つぎの語を見てほしい。
  オク(置く) オス(押す) オツ(落つ) オフ(負ふ) オル(降る)
これらの語に共通していることは、「対象に上からかぶさっていく動作」であるという点である。他には、
  オク(起く) オユ(老ゆ)
があるが、これは「上方に動く」である。(老ゆは、歳が上になること)
オのつく二音節動詞は、以上ですべてである。これから判断すると、オは、「上になる、上に向かう」の「上」を意味していることがわかる。このオは、オモテ(表)などの語を作るとともに、 
  o = 上に、外に、外接して
の意を表す接尾辞としても機能したようである。だから、モツ(持)は、
  mu(身)+ o (外接して) + tu(付)
というのが本来だった可能性がある。 また、古代の衣装で「装」といわれるものがある。腰から下にまとった衣装である。この「裳」も、 同様に、「身体を(mu)覆うもの(o)」と解される。
いづれにしろoの発音は、iの発音と同様、二重母音が一音化する過程にある音ということができる。
なお、ナダ(宥)→ノド(長閑)の場合には、nada→naudau → nodo のように、ナの長音化によって、乙類音ノができたと考えられる。乙類音のすべてが、接尾辞によるというわけではない。

いずれにしても、乙類音は、二重母音もしくはそれが崩れて一音化しつつある過度的な音だといえる。

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[1]上代特殊仮名遣いの本質は連音
[2]乙類音とは(エ段・オ段)
[3]古代母音論争とはなんだったのか

日本語の起源