日本語の論点

上代特殊仮名遣い(古代八母音説)

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古代母音論争とは何だったのかー松本克己の大野晋批判

マスコミがきっかけ

1970年代に古代母音論争がマスコミを巻き込んで話題になったことがある。前項で述べたように、上代特殊仮名遣いの本質は連音であり、大野晋氏や阪倉篤義氏もそれを認め、その認識は古代語の発達の点からも納得性があると思う。ですから筆者としてはこの論争は不可思議なのであるが、まずその経過を述べたい。

昭和五十年一二月一日の「毎日新聞」夕刊に、「万葉人も母音は五つ/上代特殊仮名遣い/波紋を呼ぶ新学説」と題する記事がのった。通説の八母音説に対して金沢大学の松本克己教授が五母音だとする論文を発表した。それを新聞が紹介したのである。これをきっかけに、通説の立場で大野晋氏が批判をよせ、それに松本氏が応酬するという形で、新聞紙上で「古代母音論争」がくり広げられた。

この記事を書いたのは、毎日新聞学芸部で古代史・考古学を担当する岡本健一記者である。岡本記者は、松本論文紹介のきっかけを次のように述懐している。
「もう国語の常識といっていいだろうが、通説によると、奈良時代の日本語の母音は、現代日本語の五母音のほかに、i、e、oという三つの母音があった、つまり、八母音だった。…… ところが、五十年夏のある日、金沢大学から学芸部に送られてきた紀要を開くと、『古代日本語母音組織考』と題した論文が目についた。筆者は言語学の松本克己教授。百ページになんなんとする力作で、前書きと結論の部分だけを拾い読みすると、なんと『上代特珠仮名遣は一見、八つの異なった母音を書き分けているように映るけれど、それは日本人の発音の癖を中国人の耳で聞き取り、正確に写したものにすぎない。万葉時代の母音の数は、現代と同じ五つだ』と、喝破しているではないか。

古代日本語の公理ともいうべき〈上代特殊仮名遣〉ーー少なくとも、その解釈が覆されようとしている!私は大急ぎで読もうとしたが、いかんせん、言語学・国語学の素養のない悲しさ、なかなか論証の筋道がたどれない。とりあえず、二、三の言語学者・国語学者に電話を入れて、松本論文の評価を尋ねたが、どなたも読んでおられない。 ……
それならば、と、こんどは言語学の第一人者、服部四郎東大名誉教授の見解をうかがった。先生は、『君、その論文をどこで知りましたか。えっ、読んでもよく分からないって?そりゃ、当然です。日本の学会で分かる人は二、三人しかいないんだから』と、早口でまくすように話されたあと、『君、よろしいか、私のいうとおり、ノートしなさい』と命じられた。『松本克己君の論文は、昭和初年の有坂芳世博士いらい五十年ぶりに現れた、国語学史上の画期的な発見である。 ……』
服部教授は電話の向こうで、学生にノートをとらせるように、講義調でコメントをつづけられた。」

こうして、大学の紀要という地味な場所に発表された論文が、にわかに世間の注視を集めることになった。この論争は、さらに舞台を雑誌「言語」誌上に移して続く。翌年六月、日本言語学会の公開シンポジュウムが、同テーマで開かれ学会始まって以来の盛況となった。
この論争はその後数年続く。そして今日でも膠着状態にあるようにみえる。

大野晋氏の説明にも問題があった

大野晋氏は石塚龍麿を再評価して上代特殊仮名遣いを唱えた橋本進吉の弟子である。橋本は八母音と考えていたようである。橋本説を受け継ぐ大野晋は、乙類音の音価を乙類オをドイツ語のo、あるいはフランス語のoに近い音とし、乙類iとeとは、現代東北地方の人々の発音するイとエとに近いとした。

松本克己の批判:

しかし、松本氏によれば世界の各言語の母音体系には一般的な原則があるが、大野氏の主張するような発音体系は、その原則に反しており、ほとんどありえないという。

松本説は、甲乙二類の書き分けを母音の相違ではなくて、子音の調音差であり、「変異音」現象の反映とする。この変異音というのは、同じ音(=音素)が、環境によってちがった発音であらわれるものであり、たとえば朝鮮語でラ行子音にあたる音素が、語中の母音間では[r]音節末では[l]の発音であらわれる類のものだという。

[大野晋の問題]大野晋氏は、論争の際にもっとこの母音が発生した理由について述べたほうがよかった。乙類音が連音だとすれば、その発音は自ずと類推可能であり、日本語では奄美方言のティ(手)、ムィ(目)などがそれをとどめている。しかるに、大野氏がドイツ語やフランス語と似た音と説明したのは適切ではなく無用の混乱をまねいた。そのために松本氏のような批判が出たわけであるが、松本氏のように、八母音を日本語の一般的な母音体系を構成するとみなした上での大野説の批判はあたっていない。乙類音は母音連続で生じた過度的な音に過ぎないのであるから。乙類音の実体がわかった上で言えば、松本氏が変異音だとしたのは、現象のみに着目したもので事実の影(実体とは遠い一側面)を論じたものと振り返ることができよう。

上代特殊仮名遣い論争というのは、松本氏が大野説をよく読まず、また大野晋氏も必要な説明を十分行わなかった結果生じた論争だといえる。(何なのこれは)
しかし、未だにことの本質が理解されておらず、誤解の多い議論が目に付くのは残念なことである。

(終わり)


[1]上代特殊仮名遣いの本質は連音
[2]乙類音とは(エ段・オ段)
[3]古代母音論争とはなんだったのか


日本語の起源