日本語の起源と構造

安本美典の日本語成立論

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日本語の成立モデル

  先に述べた統計データを解釈して、安本は日本語は次のような四種の系統の言語が合わさってできたものだと推論する。従来は、言語の成立については、一つの祖語から多くの言語が分岐する「系統論モデル」が考えられてきたが、日本語を考えるにあたっては、多くの川が注ぎ込んで大河となるような「成立論のモデル」が適当であるとして、下図のようなモデルを示している。

  流入した言語の系統 流入の時期 主として寄与した領域
古極東アジア語系の言語 6千年~7千年以上前 文法的、音韻的特徴(語順、rとlの区別がない、二音節語が普通
インドネシア系、クメール系の言語 5千年~6千年以前の頃から、西暦紀元前数世紀。弥生時代のはじめごろまで。 基礎語彙
中国江南地方からのビルマ系言語 西暦紀元前4百年~2百年頃から数世紀。ほぼ弥生時代。 身体語、数詞、代名詞、植物関係の語。
中国語(北京方言の言語) 西暦紀元以後。 多くの文化語。

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Ⅰ.古極東アジア語

環中国語の一部をなし、中国の東北方の、朝鮮語の語順などと関係のある言語層こそ、日本語のもっとも古い層である。それが基盤となり、その上に、いくつかの南方的な要素がかぶさって日本語が成立した。そう考えられるのは次のような理由による。
(1)「朝鮮語」と「アイヌ語」とが、「朝鮮語」と「日本語」以上の、はっきりとした偶然以上の一致を示している。これは朝鮮語祖語、日本語祖語、アイヌ語祖語を結びような環中国語が基層をなしており、日本語祖語が後に南方語の影響を受けて、変質をとげたと考えるならば、うまく説明できる。これに対して、南方的な言語が基層にあり、朝鮮語祖語的なものがかぶさったとする南方語基層説では、朝鮮語とアイヌ語との有意な一致がうまく説明できない。
(2)基礎語彙においては、「日本語」と「朝鮮語」との一致の度合よりも、「日本語」と「インドネシア語」との一致の度合の方が大きい。これは「日本語」と「朝鮮語」との関係がより古く、「日本語」と「インドネシア語」との関係が、より新しいことを思わせる。

「日本語」「朝鮮語」「アイヌ語」は、環中国語のうちでもある程度のまとまりを見せるので、いま「古極東アジア語」という言語を想定する。これは次のような共通性を持つ。
○rとlの区別がない。
○清音と濁音の区別があまり明確でない。
○二重母音をさける傾向がある。
○語の平均の長さはほぼ二音節である。
○日本語の「てにをは」にあたるものを持つ。
○母音調和の現象があったらしい。(アイヌ語の母音調和については知里真志保氏の研究がある)
古極東アジア語は、アルタイ諸言語から、きわめて古く分離したものらしく、アルタイ諸言語との間にはかなりなみぞがある。

Ⅱ.インドネシア、クメール系の言語

6、7千年程度前から、第二の波として、南方、とくにインドネシア、カンボジアの方面から、日本列島によせてくる。
①マライ・インドネシア諸語において、インドネシア語派とポリネシア語派は、いまから5~7千年前に分裂した。この分裂の後、インドネシア語派の言語は、サンスクリットの影響を受けた。例えば、「name(名前)」は、サンスクリット語「nam?n」 、インドネシア語「nama」で、日本語の「na(名)」は、インドネシア語を通じてサンスクリットを受け入れた形をしている。ポリネシア語とは似ておらず、日本語が、インドネシア語などの波を被ったのは、インドネシア語族とポリネシア語派とが分裂して以後と考えられる。
②「基礎百語」「基礎二百語」でみるとき、「インドネシア語」と「日本語」は、「インドネシア語」と「ポリネシア諸語」よりも近いほどであり、「日本語」と「朝鮮語」とよりも近いほどである。とりあげた諸言語のうち日本語に最も近いのはインドネシア語であった。日本語とインドネシア語との接触時期が近かったことを思わせる。

Ⅲ.中国江南地方からのビルマ系言語

西暦紀元前2、3世紀ごろまでは、おそらく、日本列島は、言語的に統一されていなかった。古極東アジア語の系統をひく言語や、インドネシア語の系統をひく言語をもちいる集団が、部族的に、各地に分布していた。西暦紀元前2、3世紀前後、弥生時代のはじまる前後に、おそらくは、稲作などとともに、第三の波として、おもに、中国の江南地方から、ビルマ系の言語が日本に押し寄せてくる。中国大陸で秦漢帝国による政治的統一がすすみ、漢民族が南下し、その圧迫により、中国南部の民族に、大きな移動がおこり、その結果として、江南から日本や朝鮮に、稲をたずさえてわたってきた種族がいたと考えられる。
これが、北九州に上陸して、すでに北九州に存在していた朝鮮祖語との関連をたもっていた古極東アジア語の系統をひく言語と結びつき、日本語祖語を形成した。
「ビルマ系諸言語」のなかの「ポド語群」の身体語では、日本語、あるいは琉球語と12語のうち、5~9語までも語頭の音が一致する。ビルマ系諸言語の中には、身体語ばかりでなく、数詞や代名詞、植物関係の語などにおいても、「日本語」と偶然以上の一致を示すものがある。ただし、それ以外の基礎語彙の一致はそれほどでもない。
また、「やま」「かわ」「とり」など、ふつうの日本語の基礎語彙は、二音節の語が多い。ところが、「め(目)」「は(歯)」「て(手)」「け(毛)」など、身体語には一音節のものが多い。一音節からなる言語は、中国語、ビルマ語、タイ語、ベトナム語、チベット語など、大陸にひろがっている。「め(芽)」「ね(根)」「は(葉)」「ほ(穂)」など、やはり一音節語が多い植物関係の語や、身体語、数詞、代名詞などは、どうやら中国地方の一音節語の地域からもたらされたもののようである。これらの語は、「やま」「かわ」「とり」などのふつうの日本語の基礎語彙な上に、油が水に浮くように浮かんでおり、日本語の中に十分とけ込んでいない。これはビルマ系の言語が日本列島にわたってきた時期は、それほど古くないことを示している。

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