明治の開国以来、欧米の言語学者や欧米に留学した学者を中心に日本語の系統が論じられてきた。1900年~2000年の間の日本語系統論についての主な学説を紹介する。この100年、学説的にはさほどの発展がないまま来ているといってよいだろう。
藤岡勝二は「日本語の位置」(1908)という講演で,語頭に二つ以上の子音が現れない,語頭に r 音がこない,母音調和がある,冠詞がない,等14項目を特長をあげてアルタイ諸語と日本語の特徴が一致すると説明した。
フィンランドのアルタイ語学者 G. J. ラムステッドも「アルタイ諸語と日本語との比較」(1924)で同じ見解を表明した。またアイヌ語の権威者金田一京助は,「国語史系統篇」(1932)の中で日本語が原始アルタイ語と遠い親族関係にあると述べた。
また、小沢重男が108例につき日本語とモンゴル語の比較を行ったが、科学的な証明には至っていない。
(朝鮮語)
朝鮮語との同系説は,古くはW. G. アストンが「日本語と朝鮮語との比較研究」(1879)において両言語の親族関係を認めた(例,〈水〉日 midu:朝 mセl)。金沢庄三郎も「日韓両国語同系論」(1910)を発表し,同一起源説を主張した(例,〈われわれ〉日 ware:朝 uri)。さらに大野晋は「日本語の起源」(1957)の中で226の比較例を提示したが,比較言語学が要求するような音韻対応の法則的な抽出までには至っていない。
古くは V. H. ラベルトンが,「日本・マライ・ポリネシア語族の分枝としてのオセアニア諸語と日本語」(1925)のなかで南方に日本語の語源を求めようとした(例,〈うを〉uwo:ジャワ語iwak)。
松本信広は「日本語とオーストロアジアチック語」(1928)において,日本語と東南アジア諸語との対応を示す113例ほどを集めたが,そのオーストロアジア諸語(アウストロアジア諸語)そのものに系統的統一が認められていない。
京都大学の泉井久之助は「日本語と南島諸語」で日本語と南島諸語は同系ではないが、基層言語だとの考えを示した。
川本崇雄は「南から来た日本語」(1978)で,アルタイ系の基層語の上に南島系言語が重なったと推定した。 村山七郎は「日本語の誕生」(1979)の中で南方系説を推進し(例,〈花〉pana:インドネシア系チャモロ語 baペa),日本語は南島系の言語に北方のアルタイ系言語が混合したものだとする説を提起した。
K. パーカーは《日本語複合動詞辞典》(1939)の中でチベット・ビルマ語派との関係を論じているが,そこではチベット・ビルマ系の多様な言語からつごうのいい単語だけがぬき出されている(例えば〈歯〉pa はライ語の pa と,〈目〉はミキル語のmek と対比されている)。また西田竜雄も《日本語の系統を求めて――日本語とチベット・ビルマ語》(1976)で,チベット語やビルマ語の単語を分解して日本語の単語との比較対照を試みている。
目次:
1.日本語の系統ー方法論による分類(前ページ)
2.日本語の系統(日本語系統論)ー学説史(本ページ)
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さらにくわしい説明PDF(日本語系統論-学説史)